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高森明勅
2011.3.17 02:15

天皇陛下のビデオメッセージ

天皇陛下のビデオメッセージを拝見。深く心を打たれた。

そもそも、録音、録画などを通して国民に語りかけるという形式自体、極めて異例だ。

こうした形式が採られた直接の理由は、緊急を要する情報があった場合、それを優先して欲しいとのご配慮から、万一の場合に備えて、中断などの操作を可能にする形が選ばれたのであろう。

周到なお心配りである。

が、それと共に、終戦時の昭和天皇による玉音放送も、陛下の念頭にあったのではあるまいか。

少なくとも私は、まさに敗戦以来の難局にあることを、銘記させられた。

ビデオで拝見する陛下は、深い悲しみを心中に抱えながら、あくまで穏やかに静かに、心を込めて語られた。

どこかの政治家が、取って付けたような悲壮な表情を、無理に装っているのとは、比べること自体、非礼だろう。

お言葉を始められる前、僅かな間があった。

その時の陛下のご表情に、殆ど無限の慈しみが感じられた。

お言葉では、被災者の方々が苦境の中で懸命に生き抜こうとされている姿を、「雄々しさ」と表現され、ご自身の感銘を率直に述べておられる。

また、世界各国の元首から陛下宛に(もちろん首相宛ではなく)、お見舞いの電報が届き、それぞれの国民が被災者に心を寄せていることを、陛下ご自身が直接、被災地の方々にお伝えになった。

これも、陛下の労りのお気持ちのこまやかさを、真率に表しているだろう。

取り分け胸にしみたのは、被災者の方々の「これからの苦難の日々」を日本人皆が、「さまざまな形で少しでも多く分かち合っていく」ことの大切さを訴えられた件りだ。

自分は安穏とした場にあって一方的に被災者を憐む、というのではなく、苦難を共に「分かち合う」こと。

それこそが同胞としての務めだと、改めて気付かされた(それは天皇陛下が常に国民に寄せておられる心のあり方そのものでもあろう)。

陛下はお言葉の中で、「この不幸な時期」という言い方をされている。

明らかに、限定された「時期」を乗り越えた時点を見据えた表現だ。

更に、お言葉では二度、「希望」という語が繰り返されている。

希望を捨ててはいけない、というのが、今回のビデオメッセージで陛下が最も伝えたかった主眼ではあるまいか。

日本人皆が、それぞれの持ち場、立場で、被災地の苦難を分かち合う気持ちを持ち続ければ、必ず復興への希望に繋がることを、陛下は静かに諭して下さったのだと思う。

但し一方で、復興に長い歳月を要することも、陛下は冷静に自覚しておられる。

「国民一人びとりが、被災した各地域の上に゛これからも長く″心を寄せ」とか、「被災者とともにそれぞれの地域の復興の道のりを
見守り続けていく″ことを心より願っています」などの語り口は、そのことをはっきり示していよう。

しかも、恐れ多い言い方になるが、ご自身がその復興の歩みを最後まで見届けられない可能性を意識しつつ、国民に後事を託されているような気配が感じられ、胸を締め付けられた。

日本人は、あの敗戦の悲境からさえ「雄々しく」甦った不屈の民族だ。

世界の君主制が、総力戦の敗北によって消え去って行った中で、敗戦を乗り越えた天皇、皇室のご存在は、まさに日本人の強靭な生命力の「象徴」に他ならない。

天皇陛下を中心に、日本人が心を一つにして立ち向かえば、「この不幸な時期」を必ず乗り越えることが出来る。

この度の陛下の異例のビデオメッセージは、国民にそのことを伝えてくれたのだと、私は受けとめた。

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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